【月龍の偉人】松下幸之助さんを六龍法で占い鑑定

北極流占い師の相原康人です。

運が良くなれば、どんな夢も叶う!

というわけで、本日は、有名人・偉人から、六龍法の生き方を学ぶシリーズです。

今回は、月龍の偉人・松下幸之助さんのエピソードをご紹介します。

『月龍の偉人』松下幸之助

松下幸之助さんは、一般的には、経営の神様と言われています。

しかし実は、占いを意識されていたことはあまり知られていません。

当時、松下幸之助は枚方で本社を置く場所を探していました。しかし隣町の門真に足を踏み入れた時、門真がとても魅力的だと感じ門真の地に本社を置く事を即決しました。

しかしその後、とある占い師にこう言われました

「この場所は阪でも鬼門の地です、この場所はやめた方がいいですよ」
(鬼門とは占いの世界では、方角で南西と北東は裏鬼門と鬼門、されていて縁起が悪いとされている)

 

そんな場所に会社を建てては不幸なことが起こると言われているのですが、
松下幸之助はその鬼門の話を聞いた時にふと思いました。

「でも、日本列島は南西から北東に向いているじゃないか!!」

むしろ鬼門の地で会社を発展させて鬼門を乗り越えよう占いを超えようと思ったのです。

 

松下幸之助が『経営の神様』と言われた理由は演説が凄い

その後も昭和4年の世界大恐慌で松下電工は大量の不良在庫を抱えました。

この時のセオリーとしては、社員全員を一斉解雇しないと会社としても経営できない、
という考え方が普通でした。

そんな中で社員全員(約1200人)が松下幸之助の前で集められます。

集められた社員は心中で「全員解雇を言い渡されるんだろうなぁ~」と思って腹をくくっていました。

しかし松下幸之助さんはその場の演説で、

「僕はね!社員皆さんの事は解雇しない!この難局をみんなの力で乗り切っていこう!」

と社員全員に発破をかけました、それを聞いた社員一同は感動して!

「この会社に命を捧げよう!」「この会社に一生捧げよう」

を士気を上げ、戦国時代のように一致団結して、旗揚げを行ったのです。

そんなとてつもない熱意を燃やす社員たちの働きで、松下電工は翌年の2月には全ての在庫を売り払ったそうです。

このように人や社員を大事にする理念から終身雇用を初めて作ったのも松下幸之助だと言われています。

今までのセオリーを、全て打ち破っていったからこそ!『経営の神様』と言われているのです。

現役引退後も・・・

時は経ち昭和36年、松下幸之助は現役を引退し会長の座につきます。

その際、松下の営業所の80%が赤字を抱えていたというのを耳にした松下幸之助は、各店舗の社長を呼び出し、緊急会議を静岡の熱海で3日間開きます。

その時の会議が本社の言い分と支店の言い分が平行線でした。

支店は「うちが悪いんじゃない。本社で作る商品が悪いんじゃないか!?」と言い、本社側は支店に「支店の売り方が悪いに決まってるだろ!」と対立したわけです。

そんな会議が2日も続きました、そして3日目になって会長の松下幸之助が満を持して登壇して、こう言ったのです。

「全部俺が悪い」

自分自信の政策やの考え方が悪いと言って、その場で自分の至ってない所を説明し出したのです。

その演説を聞いた支店の社長さん達は、感動してほとんどの人が涙を流したそうです…

 

その後なんと!松下幸之助は、会社の座を退き、自ら営業部長になったのです。

すでに現役を引退しているというのに、現場にまさかの電撃復帰を果たします。

その後、松下幸之助が復帰した松下電工は売り上げが復活し、見事危機を乗り越えます。

 

 

松下幸之助の言葉

1.志を立てるものに老いも若きもない

そして志あるところに老いも若きも道は

必ず開けるのである

 

2.とにかく、考えてみることである

工夫してみることである

そしてやってみることである

失敗すればやり直せばいい

 

1.つまりはどんな人でも志を高く持って生きろと言うことです。

若かろうが、老いていようが、志を持つものに道は開ける。まず志を持ちましょう。

志がなければ人は何も始まりません。人の為になるための志を持つことを松下幸之助は我々が生きてる現代にも強く残しているのです!

 

2.月龍の人は考える事に優れています。考えて工夫しても、最初は必ず失敗します。でも、何度だって、やり直せばいいのです。

これをやり続けたからこそ、Panasonicのような大きな会社ができたのでしょう。

運が良くなればどんな夢も叶う!

あなたの開運をお祈りしております。

相原康人